死ぬ間際に


「朱然はどこにいる!」

叫び青褪めた顔をした大都督を見た兵士たちは皆驚く。

朱然は白帝城へ劉備を追う際、駆けつけた趙雲に斬られたという。
相手が悪すぎた。長坂で名を馳せた趙雲に、朱然が勝利するなどと、無謀だ。

ひとりの兵士がいう。

「朱然さまは、城にて休養をとられております」
「…そうか。騒ぎ立ててすまなかったな。ありがとう」

落ち着いた陸遜の様子に兵達は安堵し、帰還の準備をはじめる。

自陣は守った。だが、劉備を討ち果たすことはできなかった。
陸遜でさえも無傷ではない。斬られた足を引きずりながら、
それを護衛の丁奉が支えた。

「一刻も早く、城へ」

一言漏らすと、丁奉は馬の準備を命じる。
何もかもわかっていて、気が利く、彼に感謝しつつ
すぐさま陸遜は幾人かの旗本を連れて城へと戻った。







「然は」

薬師に聞くと、いつ目覚めるかわからない、と返答された。
孫桓も、自らの部下と言うこともあり、大層悲観に暮れ、
朱然の床前にずっと正座していたという。ただ遠くを見つめながら。

ああ、いつだって死は近くにあるのに、
大切なことは言えないばかりだ。

陸遜が居室に入ると、気がついたのか、孫桓が少し微笑んだ。

「ずっと、そこに座っていると聞きましたが」
「大切な副官です。もし最後のときを迎えるときがあれば」
「それ以上は言うな…」

孫桓はとても悲しそうな顔で微笑んだ。
お互いの心が潰れそうだった。

「然、返事をしないか」

届いているのかもわからぬ声だ。届けばよい。
薬師が薬を運んでは、口へと流す。
包帯を替えれば、左腕はもがれたように切れていた。
辛うじて繋がっている。それが苦しい。




朱然の手を握ると、普段は振り払うくせに、笑うくせに
握り返すこともなくて、ただ冷えた手

そのまま胸に耳を押し当てると、かすかに鼓動が聞こえる。
そのまま、陸遜の目からは涙が流れて頬をそれがつたっても


深追いさせなければよかった
自分ならできると力んでみせた若い朱然がいた
夷陵城への出陣時に、必ずの生還を約束した
軍議で出陣を志願したがそれを止めた
大都督に就任したとき喜んでくれた
桃の花見に遠くまで馬を駆けさせた
初めて会ったときのことを思った


死ぬ間際に誰の顔を見ながら死にたいか


朱然は趙雲と相対したとき、何を思っただろう。
胸から耳を離すことができない。どうしてもできない。
この音が途切れたとき、朱然は

手遅れになる前に共に

僕は然の顔を見ながら死にたい






「陸遜どの」
「桓、部屋から出ていってください」
「できません」
「どうして」

「あなたが死ぬことがわかるからです」

視線を上げると、孫桓も涙を流している。


「私も死んでしまいたいと思います。
 だが、まだあなたがいる。ひとり死ねば
 連鎖するように皆死んでしまう。
 それが正解だと思いますか。」


それに、と続ける。


「義封が目を覚ましたとき、あなたが死んだと知ったら
 義封は本当に死んでしまいます」


待とう、と孫桓は言った。

朱然の胸から顔を離した。目は閉じられたままだ。
冷たい手。初めて陸遜は声をあげて泣いた。

僕は生きた然の顔を見て死にたい。







朱然の目が開いた。